『レモンケーキの独特なさびしさ』が与えてくれた希望

エイミー・ベンダーの『レモンケーキの独特なさびしさ』を読んで、家族について、感受性について、ずっと思いを巡らせていた。

人とちがう感性に生きにくさを感じ、それが家族や好きな人を苦しめてしまう時、どのようにしてそれを乗り越えていけばよいのだろう。

<あらすじ>
9歳の誕生日、母がはりきって作ってくれたレモンケーキを一切れ食べた瞬間、ローズは説明のつかない奇妙な味を感じた。不在、飢え、渦、空しさ。それは認めたくない母の感情、母の内側にあるもの。

 以来、食べるとそれを作った人の感情がたちまち分かる能力を得たローズ。魔法のような、けれど恐ろしくもあるその才能を誰にも言うことなく――中学生の兄ジョゼフとそのただ一人の友人、ジョージを除いて――ローズは成長してゆく。母の秘密に気づき、父の無関心さを知り、兄が世界から遠ざかってゆくような危うさを感じながら。

 やがて兄の失踪をきっかけに、ローズは自分の忌々しい才能の秘密を知ることになる。家族を結び付ける、予想外の、世界が揺らいでしまうような秘密を。

(Amazonの商品説明より)

ローズのように、食べものを通して作り手の感情がはっきり分かってしまったら、誰もハッピーには暮らしてゆけないだろう。食べるたびに、給食調理師の疲労や、ベーカリーのおじさんの憤りや、母のさびしさが流れ込んできたりしたら…?

彼女はさらに、産地、有機農法、工場のようすなど、ありとあらゆる緻密な情報も正確に感じ取ってしまうから、やがて食べることが苦痛になり、生きづらさを抱えるようになってしまった。物語は、ここから十数年の家族の歩みを、ローズの視点で描いていく。

天才肌の兄、秘密を抱えた母、ごく普通の感覚にこだわり、家族に対してあまりにも平常を装う父。

一家のゆがみがしだいに浮き彫りにされ、物語は中盤、「兄の失踪」をきっかけに、思いもよらない方向へ転じる。そして、それまで感受性とは無関係で、人の痛みやさびしさに対して鈍感だった父にも、じつは秘密があることが明かされる。

読んでいて、切なさが染み通ってくるみたいだった。すべては、誰もが愛を求めた結果であるように思えた。

愛を言葉にするのは勇気が必要で、そのタイミングを違えてしまったら最後、家族(あるいは家族のように近しい人々)に対する愛は、ただの強い思い込みに変わってしまうのかもしれない。それは往々にして、濃ゆすぎる、一方通行のさびしい愛だ。

レモンケーキにあったのは、母の渇きや虚しさでもあり、おそらく家族全体のさびしさでもあったのではないだろうかと思う。

私は、ローズが職場の仲間たちとキッシュを食べるシーンがとても好きだ。ローズは、こわごわと、まるで新しい大地を一歩一歩踏みしめるように、味わった内容を彼らに伝えていく。それは、彼女が「感じやすさ」という弱さをもったまま、おそるおそる外の世界とつながろうとする大切な場面だ。そこには、これまで渇望していたものとは全く種類のちがう、新しい愛の光が満ちている。

保健室で「この子は想像力がありすぎる」と言われ、母を不安にさせて、それを引き金に人生を痛みとさびしさで満たしたローズの「感じやすさ」。

それは、兄とのクライマックスを経て、やがて人生を強く生き抜く力としての、また人を幸せにする才能としての「感受性の豊かさ」に変わっていく。

かつて思うような愛を得られなかったとしても、その先にはかならず橋が架かっていて、ちがう空が広がっている。料理を始め、自分を認めてくれる人々とともに歩き出したローズは、その橋の向こうできっと解放されるはず。

『レモンケーキの独特なさびしさ』は、そんな希望を私に与えてくれた。

この物語に出てくる、食べものにまつわる情景も心にしみる。誕生日のレモンケーキ、兄が失踪した日に食べたオニオンスープ、みんなに驚かれたキッシュ、それから初恋の人と一緒に食べたクッキー。

食べることと生きることは密接に関係している。私のなにげなくつくった料理は、誰かを幸せにすることができているだろうか。読み終えて、ふと思う。

■本の情報

『レモンケーキの独特なさびしさ』
エイミー・ベンダー (著),‎ 管 啓次郎 (翻訳)
出版社: KADOKAWA/角川書店 (2016/5/28)


原書は、“The Particular Sadness of Lemon Cake”

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私自身にも、すこし人とちがう感受性を苦しいと思うことがあり、また「少女の成長」は好きなテーマなので、ずっと気になっていた本です。もし読書の好みが似ている方がいらっしゃったら、ぜひおすすめしたい一冊です。

ちなみに、自分自身のことについては、「Dearコンプレックス」に書きました。