【エッセイ】ホリー・ゴライトリーの名刺

七年前、初めて正社員として就職した企業で、名刺を与えられた。朝から晩まで働いて、時には休日も返上するようなクレイジーな職場だったけれど、当時はそれも楽しくって、なんとかやっていた。名刺には「コンサルタント」とあり、裏には同じ内容が英語で表記されていた。名刺入れからうまく取り出せるようこっそり練習した。こそばゆかった。

その時初めて「何者であるか」を規定されたことが、その後の意識に大きく影響を与えることになったと思う。本当の意味で自分は何者なのだろう、という疑問を持つきっかけになったのだ。いわば人生とは、その疑問の答えを探すもうひとつの心の旅なんじゃないだろうか。…というとなんだか、とっても大げさだけれど。

英語公教育に関わる仕事だった。英語で「コミュニケーションする」ことの必然性ばかり考えて七年が経った。どこまでも遠かった世界に、一ミリくらいは近づけただろうか? 気づけば自分の外側にアプローチすることだけに必死になっていて、内側に残っているものはよく見えなかった。

それから自由の風がびゅうっと流れて、なんとなくその風向きに回れ右した私は、その肩書をやめていつしか「書く人」になった。自分の内側にも目を向けるようになると、遠かった世界が、すこしだけ身近になったように感じる。とっても不思議だ。言葉は見つけてあてがうだけじゃない、自分で名前をつけることもできるのだ。それは外国語のことばかり考えていた私にとって、ちょっとした新しい発見だった。

七年前のスタートとは違うことをやっている私。いや、違うこと、じゃないか。望遠鏡を覗いて見ていたものを、万華鏡で覗き込むみたいなこと。

書くことは癒しだという人もいるけれど、私にとっては旅のようなものであってほしくて、いまも私はそんな願いが捨てきれないから、名前とアドレスと電話番号だけの名刺をつくった。意識したのは、ホリー・ゴライトリーの名刺。カポーティの『ティファニーで朝食を』に出てくる自由奔放なヒロインだ。

コンサルタントの名刺は会社を辞める時にシュレッダーで廃棄した。シュレッダーにはらはらと吸い込まれていく白い紙吹雪は、頭の中のイメージとして強く残っている。毎日見ている桜の木が、つい最近そのイメージに重なって見えた。四月の風がその花びらを、どんどん過去へ運び去って、それからつぎつぎに、新緑が芽吹いていく。

自分が何者であるかなんて、まだ全然わからない。それにしても、自由の女の子たちって、どうしてこんなに素敵なんだろう!「住所不定、旅行中」。世界で一番素敵な名刺を知ったことで、私はひとつの新しい答えを手に入れた。

 

 

2018.4.12