【エッセイ】東京は24:00

二十四時、携帯にLINEが届いた。秋から本社勤務になった元同僚からだった。写真を開くと、夜空に細長く伸びている、ブルーから白へのグラデーション。そういえば、スカイツリーの近くに住むと言っていた。

誰とでもすぐに親しくなれる彼女のことだから、遅くまでみんなとにぎやかに過ごしていたのだろう。その帰り道に、ひとりになって、ふとこの光景を写真に収めたくなり、それを誰かに送ったー―それだけのことかもしれないけれど、私はうれしかった。私の心はすぐに、そこへ飛んで行ったような気がした。

きっと去年までの私なら、彼女の栄転を嫉妬していたと思う。同じ会社で同じ仕事をしていて、あらかじめ決められたゴールへ、どれだけ早くたどり着けるかということしか頭になかった。書くことで表現する楽しさも生き方も知らなかったから、ちょっと、いろいろ、むきになりすぎていたな。

だから、驚きだった。心からおめでとうと思えて、そんな気持ちで写真のスカイツリーを共有できたことが。そして、しみじみとうれしかった。始まりの合図もないまま、心だけが先に走り出してしまった私の中にも、いつからか本当の――「自分自身の」目標が出来た、ということかもしれなかった。

学生の頃、大学の近くの総合グラウンドで、何をするともなく時間をつぶした。真ん中に芝生広場があり、木立を抜けてゆくと競技場に通じていた。試合がある日は空までにぎやかな歓声で満たされ、そうでない日は閑散としていた。フェンスに指をかけて、ひとりで黙々と練習するアスリートを眺めた。

私はこちら側とあちら側が接するぎりぎりのところで、生ぬるい風に吹かれながら、すべてを手の届かない夢の中のことみたいに眺めていたっけ。

瞼を閉じた内側で、自分だけの競技場を見つめる。命を燃やすように活動する、汗まみれのアスリートの姿がぼんやりと浮かび上がってくる。

その競技場は、きっとすべての人の中にあるんだろう。自分が決めた高みを目指すための、静かで穏やかなエネルギーを生み出す深遠な場所として。やっと私も、それを胸に持つことができたのだ。

やわらかい芝生が湖の周りを取り囲み、私は友人とよくそこに座ってちらちらと光る水面を眺めた。魚の背びれがつける筋が、たっぷりとした水量の湖をすうと割っていった。大学を卒業してどんな職業に就くのかなんて考えられなかった。考えるのは、新品の靴を汚したくないとか、せいぜいそんなことだけ。ただ、これから自分がどんなふうに成長していけるのか、どこまで行けるのか、誰と出会えるのか、不安でもあり楽しみでもあった。

立ち止まることは、古くなることだ。記憶を行きつ戻りつ、暗く長い夜を通り抜けて、私たちは前に進んでいく。

私は画面の中の二十四時を見つめた。ひんやりとした競技場のフェンスの感触を指に感じながら、そこを今、ひとりで歩いている彼女のことを想った。

おめでとう。すこし肌寒いかもしれないけれど、やさしい風が吹いているといいな。あなたはいつも陽気で悩みごとなんかないように見えるけど、意外と繊細で涙もろいんだよ。