【エッセイ】Dear コンプレックス

クリームたっぷりのケーキが目の前にある時、まだそれを口に入れてもいないのに、舌先に甘い味がとろける。

一輪の花が目の前にあるなら。

たとえば、バラ。

花びらはほんのりとマットで、枝葉はみずみずしく、棘の輪郭は凛と引きしまっている。

鼻先に、ふわんとした香り。

もうそれだけで私はダメだ。口の中に、バラがいっぱいに広がってゆく。強烈な香水を飲まされているみたいで、頭がクラクラして、胸やけがこみあげる。茎のうぶ毛が舌にこすりつけられ、青くさい土の塊や、花弁の奥にひそんでいた虫の死骸まで、飲み込まされているような気分になる。

私はそっと花をメニューの裏に隠す。

「どうしてそんなことをするの?」と友人たちは首を傾げる。

「花びんを落としてしまってはいけないから」と私は答える。

気がついた頃から、花が怖かった。いちばん恐怖を感じたのは祖父のお葬式で、私はまだ小学校にもあがっていなかったと思う。喪服の参列者がひとりひとり花を棺おけの中へそっと入れてゆくさまを、鳥肌を立てながら私は見ていた。色とりどりの花にうずもれて眠る祖父は、すべてを受け入れているように見えた。人は花とともに旅立つ。花は死とつながっている。

人生の節目に花束はつきもので、これまでにたくさんのお花をいただいた。花束を遠慮したい、という申し出が通ることはなかった。お花をもらってうれしくない人なんて、この世にはいないのだ。彼らは言う。いるとしたらそれは心に血の通っていない人だから、決して信用などしない方がいいのだと。

純粋に花をきれいだと思う。桜並木を見上げた時の、全てがピンク色に包まれた世界のなんと素晴らしいことか。この世に生まれてきたことを、春の妖精たちに祝福されているような、華やかでうれしい気持ちになる。

誰にだって苦手なもののひとつやふたつはあると思う。人と違うことに悩み、克服しようと努め、それでも決して簡単にはうまくいかない切なさを感じたことがあると思う。

人と比べるから、私たちは苦しむ。私ひとりだけの世界なら、きっとコンプレックスなど存在しない。

コンプレックスを感じるのは、私とあなたが同じ世界に存在している証拠だ。

私はコンプレックスを持つあなたを非難しない。

「どうして」なんて言わない。

「そうなんだ」とうなずく。それから言う、「そんなあなたも好きよ」。

人生は花のように儚い、と誰かが言った。

ゆるやかに愛するには、花の命は短すぎる。だから私は、二度と戻ってこない一瞬の連続に、ぞくぞくしながらいつまでもしがみついていたい。コンプレックスだらけの私を好きだと言ってくれる人がいるあなたと、花で満たされた小径で。

Dear--いつか私の棺おけを満たす、美しい花たち。

 

 

 

 

追記

WEBメディアShe isさんに、この『Dearコンプレックス』を取り上げていただきました。みんながコンプレックスに向き合った特集、涙が潤んできます。ありがとうございました。