【エッセイ】ロマンティックはつづく/Romantic Bites.

子どものころからあこがれていた人魚みたいなウェーブの長い髪は、就活にはそぐわなかった。

「髪を切れますか?」と聞かれて、つばを飲み込んで、「いいえ」と答えた。最終面接だった。不採用通知をくしゃくしゃにゴミ箱に投げ込んで、なれるものなら人魚姫みたいに海の泡になってしまいたかった。でもなれなかった。ロマンティックな人生なんて、私にはゆるされていないのだ。そして貝殻のかざりを外し、髪を切って、海の泡になれなかったその後を生きることになった。

ロマンティックが大好きだった。

「ピンクを着てブルーを爪に塗って、好きな人と背中合わせでビスケットをかじりたい」――うたたねの夢がとろけだしたような大学生活で、私はいつだってそんな甘っちょろい気分でいた。コアントロのびんを窓辺に置き、アンティークのティーカップで紅茶を啜る。朝起きた時にさびしくないように、パステルカラーの服やバレエシューズでクロゼットをいっぱいにした。本物のレース刺繍やヴェルヴェットは、ほんのすこしの分量で花を添えるから、たくさんはいらない。たとえばそう、長い髪をふわりと結わえるリボンが数本。それと星座早見盤と、詩。

妖精の粉をふりまいて、ロマンティックをつらぬけば無敵で、就職氷河期なんて、かろやかに飛び越してゆけるはずだった。

けれど、私のロマンティックはいとも簡単に現実に敗北する。

毛先の軽くなった髪は、私をもっと子どもっぽくした。

流れ着いたのは乾いたオフィスだった。好きなものだけに囲まれて視野を広げようとしなかった大学と留学時代の「つけ」みたいな日々が続いた。人間の足が生えた人魚姫は歩くと激痛が走るし、声だってまともに出なくて、それでも何とか耐えていたのに、ついに王子さまは隣国の姫君と結婚するんだって。最悪なニュース。現実は厳しい。だけど、ロマンティックはもっと厳しい。

 

そして月日は流れて。

 

伸びすぎる前に髪を切って、再び伸ばすことを繰り返しているうちに、仕事はあんがい楽しくって、私は出会った人と結婚することになった。とても自然に、なめらかに。無機質で苦い現実のなかにも、ロマンティックのかけらはたくさんあるのだということが、すこしずつ見えるようになっていった。

たとえば目の前を歩く女性の、すり減ったハイヒールのかかと。雨の駅前でにじむヘッドライト。なにげなく見やった空中に、たった一つ、つややかなしゃぼん玉が泳いでいることの、とてつもない貴重さ。

大人になった私はまた、せっせとちいさなロマンティックをかき集めて、現実を新しく綴り合せようとしている。

人魚姫のお話にはじつはまだ続きがある。人魚姫は海の泡から精霊に生まれ変わり、風にのって王子さまと妃に会いにゆく。そして二人を祝福し、自分の魂のための新しい旅に踏み出していく。

現実はやっぱり甘くないけれど、ほんの一滴こぼれおちる蜜は、だからこそ宝石みたいにきらめいて愛しい。

一周めぐってやっと、私もいま好きな髪型を選べるようになった。

絹糸の髪が光りなびいて、私は春の嵐に顎を上げる。

大好きなロマンティックはつづく。

地に足のついた人生のおともに。

The romantic things are splendidly going on and always nearby, to enhance your life on the ground – instead of disappearing into the splashes of bubble.

 

 

 

 

2018.3.23 追記

WEBメディアShe isさんのMember記事に、この『ロマンティックはつづく/Romantic Bites』を取り上げていただきました。こちらです。はくるさんのコメントも素敵。ありがとうございます。

はくるさん(@silonica)のコメント:「ロマンティックな人生に憧れていた彼女は、就活のために長い髪を切ったことがまるでそれに背くようでショックだったと言います。しかし、現実とロマンスは完全に住み分けされた表と裏ではありません。隠れ合って、混ざり合って、同居している要素です。現実を生きることは夢を見ていた日々のツケではなく、日常の中にだってロマンティックは潜んでいる。もしあなたに切望しているものがあり、そして今ここにそれがないように感じるのであれば、着眼点を変えて自ら迎えにいってあげればいいのです。」