【エッセイ】羽田空港、57番ゲート

「……により、20分遅れで出発となります」

やわらかな声のアナウンスが、とても重要なことを伝えたような気がしたけれど、まばらに座っている人々の後ろ姿は、微動もしなかった。透明なガラス窓の向こうに、冷ややかな黒い夜が広がっていた。

ついさっきまで人と会って話をしていたのに、なんだかすべて夢かまぼろしのように思えた。ぜんぶが今、この足もとにつながっているなんて信じられない。

モニターは「广岛」という文字を映していた。それはとてもふしぎなかたちをした記号で、しばらく見つめても何のことかわからなかった。

羽田空港、57番ゲート、19時30分。

毎日のいいところを切り取って光を盛って、私たちはすこしだけ上の理想を意思とともに生きていく。けれど、どうしてだろうな、ときどき、見つめておきたいと思うんだ。悪いもの、こわいもの、蓋をされて隠されているもの。世の中の「いいね」から見向きもされない、キリトリ線の外側にあるもの。

人に見てもらったり、読んでもらったりするのだから、わざわざ毒を披露する必要なんかないわよと、チョキンと切れた枠の外で、かわいい私の赤い靴が笑った。

――うるさいな。どんなにかわいくても、私の足にはなれないでしょ。

チョキチョキと切っていく。光る滑走路を、窓の外の東京を、美しく楽しかった旅の思い出を。キリトリ線でまっぷたつに、分けていく。

――嘘いつわりのない自分を見てもらいなよ。

――うるさいなあ。

切り取ったかっこいいシーンが、足下にひらひらとつもっていく。旅行も日常も、人には美しいものだけを見せて、そうでもない方のスクラップは、心のゴミ箱にそっと隠す。

がたんと音がして飛行機が離陸すると、足もとのまぼろしは一斉に浮かび上がった。そして何の未練もなく、どっちつかずの方向へ流れていった。いったい私は、何を切っていたんだろう。心のハサミが錆びている。

夜景が宝石箱をひっくりかえしたように見えるのは東京の上空だけで、あとは怪物の血がにじんでいるような光の筋がつづいていく。

しずかな時間の中で考える。

美しいものもそうでないものも、つなぎ目なくつながっている。大人になるどこかの過程で私たちは、みんなも「毒の耐性」を持って自らを守っていると知ってしまった。清らかな光の湖は淀みを、森は腐葉土を、私は毒を隠して、懸命にきれいな姿だけを見せて生きようとする。大丈夫、それでいいのだ。それを黙認するからこそ、人にやさしくなれるし、許し合うからこそ、すこしだけ自分を解放できるんじゃないかな。

出発は20分遅れで、到着は30分遅れだった。10分が空の上で引き伸ばされ、それはもう私たちのちいさな座標のどこにもない。数式で表せないものごとを、私たちは理解して乗り越えていく。

前を向いたらうしろは深い森になる。ふと誰かが後ろにいると思って振り返ると、誰もいなかった。キリトリ線はすっかり閉じて、すでに私は新しい場所にいた。モニターは「広島」を表示している。私の足は赤い靴に収まっている。